2015.09.01

ハンサム仲座先輩が「沖縄喜劇の女王」
仲田幸子さんに直撃インタビュー


戦後70年という節目の2015年、芸暦70周年を迎える仲田幸子さん。今月21日に控える敬老の日特別公演は、芸暦70周年を記念する公演としても注目を浴びています。そんな沖縄の笑いの基礎を作ったレジェンドに、お笑い芸人ハンサム仲座先輩がインタビュー。これまでの役者人生やご自身の半生のユニークなエピソードなど、普段は見られない仲田幸子さんの素顔に迫っていただきました!

お笑いひとすじ70年 喜劇の女王を支えてきたものとは

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仲座先輩ぼくら沖縄でお笑いをやっているものにとって、幸子さんは生きる伝説的存在ですが、そもそも芝居をはじめるきっかけはどんなことだったんでしょうか?

幸子さん5歳くらいのときだったか、祖母が芝居を観に連れていってくれたことがあってね。舞台の上で輝く役者さんたちを目にして、もう、いっぺんで好きになってしまったのよね~。ごほうびに芝居を見せてもらえるのがうれしくて、一生懸命勉強したものだったよ。きれいなすがい(衣装)を着てお化粧をした役者さんの姿に憧れて、自分もあそこ(舞台)に立ちたいと思ったのよ。

でもそのうちに戦争がはじまって、世の中が大きく変わって、とても芝居どころではなくなってしまったわけさ。本当はあの対馬丸にわたしも乗るはずだったのだけど、ギリギリのところで乗船しなかったのよ。桟橋から船を見送ったことは今でもはっきりとおぼえているよね。

戦争が終わって、また劇団ができはじめた頃、やっぱりどうしても役者への夢を捨てきれずに劇団の門を叩いたのだけど、ちゅらかーぎー(美人)でもなんでもないただの小娘がまともに相手にされるような甘い世界じゃないわけさぁね。最初は大変だったよ。「金を取れる顔じゃない」なんて厳しいことも言われてね。でもあきらめきれず「どんなに小さな役でもいいから」と必死に座長に頼み込んでどうにか置いてもらったのよね。

仲座先輩やはり、はじめのうちは端役からのスタートだったのですね。

幸子さんもちろんよー!初舞台での役は「無銭飲食の人を止める役」で名前もなく、セリフはほんのわずか。でもそのたった数行のセリフがうまく言えないで、舞台の裏でひっそり泣いてたねぇ。「こんなことでへこたれるようでは、役者なんてとてもやっていけない」と副座長に厳しく叱られて。まだ14~15歳だったけれど、年齢はいいわけにできないからね。何度も何度も繰り返して、練習して、ひとつひとつ覚えていったよ。

相変わらず劇団では叱られてばかりで、ほめてもらえたことなんてほとんどなかったけどね。生活も苦しくて、現場から現場へと移動するのにヒッチハイクしたりしてね。わたしが親指を立ててアメリカ人の車を停めようとしても、ちっとも停まってくれないわけさ。副座長に「おまえは引っ込んでろ」と言われてね。美人の看板女優が出ていって、す~っと親指を出すと、あっという間に車が停まるのよ(笑)。

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仲座先輩幸子さんが看板女優ではなかったのですか!?

幸子さんあたりまえさ(笑)!わたしだってはじめから喜劇役者を目指していたわけではなくて、二枚目役者に憧れてこの世界に入ったのよ。

ところが、ある日いつものように真剣に芝居をしていたら、お客さんが大笑いしてね。“セリフを間違えたのか”とドキッとしたけどそうではなくて…でもやっぱり舞台に立つとお客さんが笑うの。とってもシリアスな悲劇でもよ(笑)。

どうして笑われるのかねーって悩んでたわけよ。そしたら座長が「あんたは喜劇に向いている。そちらの道を極めてみてはどうか」とアドバイスをくれたわけさ。当時は伝統芸能が基本で喜劇の文化がなかったけれど、戦後のまだまだ混乱した時代に人々が笑いを求めているという意識もあったからね。それから気付くと70年舞台に立ち続けているねえ。今でもそうだけれども、「笑わせてやろう」という意気込みはあまりないの。奇抜な衣装や道化っぽいメイクもなく、ごく自然に演じて、自然に笑ってもらえるのが一番だと思っているのよ。

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仲座先輩昔と今とで違いを感じるところはありますか。

幸子さんそうねえ。役者としてはとくに変わったことはないけれど、座長としての立場からは少し変わったかもしれないね。稽古するのにもメモを取ったりスマホやレコーダーで録音したりする人もいるけれど、昔は記憶だけが頼りだからさ。座長がさっとセリフを読み上げておおまかな流れを説明して、役者はその場ですべて覚える。覚えられなければ「うちに帰りなさい」と言われるだけよ。

かといって、「今の役者はなってない」なんて愚痴を言うわけではないの。役者たちには「わからないところがあれば、すぐに聞きなさい」といつも言っているのよ。自分の分だけでなく、役者が20名いれば20名分のセリフを暗記するのが習慣になっていて、今でも全員分のセリフが頭に入っているからね。なにを聞かれてもすぐにアドバイスできるようにしているの。

あとは、観てくれるお客さんの変化にも対応しないといけないからね。昔と違って、方言を使う人が少なくなってきているでしょう。観光客が観に来てくれることも多くなってきたし、標準語も取り入れていかないといけないさ~ね。うちなーぐちへのこだわりはもちろんあるし、標準語ではうまく伝えるのが難しい微妙なニュアンスもあるけれども、意味がわからないのでは芝居が成り立たない。時代の流れにはしっかりついていかないといけないからね。

だからこそうちの劇団では基本的に幕間口上でなく前口上。芝居の前に舞台に上がってお客様の顔や反応、会場の雰囲気を確認してその日の内容を決める。方言にするか標準語にするか、演目そのものを変更してしまうこともあるのよ。役者も臨機応変に対応できるようにしているの。

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仲座先輩幸子さんの舞台がいつも満席なのはそういった工夫の賜なのですね。

幸子さんテレビやインターネットが普及して娯楽がたくさんある今も、これだけたくさんのお客様に来ていただけるのは本当にありがたいね。70年芝居を続けてこられたのも、自分の舞台を観て喜んでくれるお客様がいてくれるから。お客様の笑顔が力になるのは、わたしたちもあなたたち若い方たちも同じだはずよ。

そして、やっぱり同じように、わたしも「今日はちょっと笑いが少なかったな」とか「あまり盛り上がらなかったな」とか悩むこともあるのよ。思ったようにいかなかった日の夜は眠れなかったりもするわけよ。その反省を活かして「次はこうしてみよう」、「こんなことも試してみよう」と考えているのよ。

今回の舞台は70周年記念でもあるから、主役として、座長として、お客様に満足してもらえるような素晴らしいものにしたいと思っているのよ。現代劇とうちなー芝居のいいところを取り入れて、民謡ショーもあって、わかりやすく面白い芝居にするつもり。今は新聞でもテレビでも気持ちが暗くなるニュースばかりでしょう。わたしたちの芝居を観て、少しでも元気になってくれたらうれしいさあね。

仲座先輩70年もひとつのことを続けることは、とても難しいと思うのですが、秘訣を教えてください。

幸子さん難しいことなんてないよ。好きで入った道なのに。舞台の世界に入った十代の頃は何もわからなくて、自己流の化粧でおばけみたいな顔になったり、セリフが出てこなくて泣いたり、いろんなことがあったけれど、舞台に立てるだけで幸せだったのよ。芝居というのはどれだけやってもゴールがないものだから、やればやるほどのめりこんでいけるのよね。

子供が生まれてももちろん舞台に立ち続けて、あまりにも没頭し過ぎたがゆえに、バスに子供を忘れてしまったこともあったさぁ。舞台に到着して子供がいないことに気付いて、「あい!忘れた!」とね(笑)。交番で泣いている子供を迎えに行って、「バスの中でどういう芝居をしようかと考え込んでいたら、つい忘れてしまった」と話すと、警察の方にこっぴどく叱られてねぇ(笑)。

子育てを手伝ってくれた家族や友人がいたからこそ続けてこられたの。もちろんお客様や劇団の仲間たちにも感謝。いろんな人たちに支えられてやってきた70年間だったねぇ。 来年は85歳よ。15歳でこの世界に入って70周年って、年がバレるさぁ(笑)。

インタビューを終えて ~仲座先輩のひとこと~

自分の舞台よりも緊張しましたね(笑)!ぼくらも県内のお笑い芸人の中では若手というわけでなく、もう中堅に入りますけど、仲田幸子さんはさらにその上をいく大ベテランで沖縄の笑いの基礎を作った方ですから。しかも85歳になる今でも現役で、雨の日でも台風の日だって関係なく毎日舞台に立ち続けて、毎回お客さんでいっぱいなんだから、レジェンドとしかいえないですよね。ぼくらなんて、月に数回のライブが精いっぱいだというのに(笑)。本当に勉強になりました。ぼくらも幸子さんに学び精進していきたいと思います!

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  • 【仲田 幸子さんプロフィール】
    1933年生まれ。15歳の時に南月舞劇団に入団し同年に舞台女優デビュー。のちに同劇団の仲田龍太郎(役者、脚本家)と結婚し、夫とともに現在の劇団でいご座の前身である「仲田龍太郎一行」を立ち上げた 。芸歴70年経った今もホームグラウンドである仲田幸子芸能館(那覇市松山)にて毎日2回の公演を行うパワフルおばぁ。
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  • 【仲座 健太さんプロフィール】
    1976年生まれ。「仲座先輩」の愛称で知られる県民の兄貴的存在。沖縄お笑い集団FECオフィス所属。2000年に相方ハンサム金城とともにお笑いコンビ「ハンサム」を結成し、現在ではラジオFM沖縄の名物パーソナリティとして「U COOL LAB」(月〜金)で活躍中。その他テレビ「ゆがふうふう」やCM、舞台役者としても活動し、自身で脚本・演出もこなすマルチな才能の持ち主。